田鶴浜散策(2013.09.11-)の記。

 田鶴浜散策(2013.09.11-)の記。

 今は七尾市の一部になってしまった田鶴浜を散策する機会に恵まれた。その記録。日時は2013.09.11- 0940時頃からの約1時間。曇時々晴。

 最初に田鶴浜についての、私の認識をすこし記す。年号その他は、今回改めて調べたものもある。

 田鶴浜近在(鹿島郡半郡)は、加賀と能登を制圧した織田信長によって長連龍に与えられた。およそ3万石。
 能登穴水あたりの国人領主で、守護・畠山家の重臣だった長家は、上杉謙信の勢力拡大に反発したものの、他の重臣たちによって一族皆殺しにされ、唯一生き残った長連龍が、織田政権に通じ、その加賀能登制圧に協力した対価として、天正8(1580)年、織田信長から、直接、鹿島郡半郡を与えられた。その所領安堵状が穴水郷土資料館に残っている。その後、能登は前田利家が領有し、鹿島郡半郡には二重の領有権が生じたわけだが、二人は血判を交わして、長連龍は前田の与力となるということで妥協した。
 長連龍は元和5(1619)年まで生きた。本人に与えられた以上、生きている限りは、鹿島郡半郡の領主は長連龍以外にはありえず、寄親である前田家の三人(利家、利長、利常)も、口を出せなかった。長連龍の子・長連頼もそのまま所領を相続し、穴水城は破棄したものの、田鶴浜館を維持していた。しかし、その子・長尚連の時に起きた検地を契機とした家臣団の内紛に前田家が介入、結果、長家の所領は前田家に収納され、長家は扶持米制度に組み込まれる。結果、寛文9(1671)年、長尚連は田鶴浜の館を破棄、金沢の屋敷だけを居住地としている。

 …といったところ。
 独立して領地を貰ったはずの与力大名が、寄親大名の家臣に転落していくのは、全国各地に例があるだろうが、長家の場合は、その顕著な一例かもしれないと思え、その館があったところは一度確認してみたい…と長く思っていた。穴水郷土資料館で「天下布武」の「所領安堵状」や「血判状」を見たこともある。

 散策に先立ち、ネットなどで、地図や資料を検索してみた。以前に田鶴浜の図書館で探したが、なぜか長家時代のことを明記した郷土本がなかったこともある。
 そして、わかったことがいくつか…

 田鶴浜館を構えたのは、長連龍。
 その時期は、天正年間らしい。
 長連龍は、慶長11(1606)年出家し、如庵と号、田鶴浜館に隠居。
 長連頼は慶長9(1604)年生まれ。

 日和ケ丘の突端に花渓寺(母の菩提寺 現在の東嶺寺)を配する。
 赤蔵山に近い山麓に悦叟寺を配する。
 二つの寺を直線で繋ぐ道と水路を設ける。
 そのほぼ中心から直角に入ったところに田鶴浜館(現在の得源寺)を設ける。

 MAPも合成してみた。田鶴浜だけの地図は見つからないので…。

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 何度か車で街中を通ったが、どこがどうなのか、わからなかった。しかし、この調査で、ようやく、田鶴浜の街路構成がわかり、散策のルートもある程度絞ることができた。
 やはり、街づくりの基本となった2つの寺と1つの館跡、それらを繋ぐ道と水路は外せないだろう。そして、地形との関係や、現在の街道との関係なども改めて見なおしてみる…のが、妥当なところだと思い、散策してみた。
 諸事情あって、悦叟寺側の山から下りることとなっている。そのほぼ頂上にコミュニティセンターがあったが、標高(海抜)は14.3mとのこと。

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 その前の道を下る。高校の女子寮があり、その横の道を下ると悦叟寺前に出るはずだ。

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 道は崖地のようで、西側は谷になっている。ほぼ降りたあたりにあった、殿町曳山格納庫。

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 そして、悦叟寺。背景は山のようだ。車のせいで山門の横が・・・残念ながら・・・。

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 由来書。

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 中には巨大な仏頭もあった。

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 さて、この山門の前からが、長連龍の作ったとされる道と(暗渠の)水路。

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 振り返ると、悦叟寺の真正面・・・作られたって感じがよくわかる。

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 道と暗渠のアップ。・・・暗渠状態の水路はインターロッキングの部分が、ほぼそのようだ。建設当時の様子が、ある程度、イメージしやすいかもしれない

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 さらに先に進み、(田鶴浜館の跡という)得源寺前の交差点からの映像。
 悦叟寺方向・・・

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 (当時はどうか知らないが今の)街道方向・・・。

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 東嶺寺方向・・・

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 得源寺方向・・・

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 田鶴浜館のあったとされる得源寺に向かう。その前の道。

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 振り返ると、こんな感じだが・・・

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 得源寺には立派な石碑があったが、由来書きはなし。

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 本堂・・・裏は山になっているようだ。

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 入口横に大きな槇の木があった・・・樹齢はわからないが、館の時代から生えているのかもしれない・・・と少し感傷にふけった。

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 再び、道と水路に戻る。一説では、この両側に家臣団の屋敷があったという・・・そうだろうなとも思うが、当時の街道との関係はわからない。現在の県道は海側にあり、その前の街道は弓なりに曲がっているが、この道の海側。もしかすると、建設当時は、悦叟寺前に引きこまれていたのかもしれないが・・・定かではなし。
 グレーチングから水路を覗く。映像では定かではないが、結構な水量だ。水源はわからないが、山側に豊富な水があるのかもしれない。

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 その途中から、各方向を望む。
 悦叟寺方向・・・

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 東嶺寺(もしくは住吉神社側)・・・

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 さらに進み、ほぼ直線道路が終わったところ。
 悦叟寺方向・・・

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 住吉神社(東嶺寺)側・・・

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 住吉神社の由来書き。

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 なんだかんだと書いてあったが、後にここに遷座されたもののようだ。建設当初は東嶺寺だったのだと思うが・・・。
 手水。龍の吐水口がそれらしい。

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 道はここで、クランクになっている。郷土史家なんかだと、このクランクが意味がる・・・とかになってしまうのかもしれない。
 現在は住吉神社と悦叟寺が向かい合っているわけだが最初にネット調査の内容では、てっきり、二つの寺が向かい合わせになっていると思っていた。住吉神社の奥に本堂があるのかと思ったが、その様子はなく、むしろ、本堂か庫裏の横側が見えてしまう・・・ということで、クランクした道をたどってみた。
 住吉神社の前からは水路が開渠になっていた。コンクリート造ではあるが、風情が違う・・・めだかもいたので、水はキレイなのだろう。

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 住吉神社の敷地を過ぎたあたりに、東嶺寺(創建当初は花渓寺)の正面があった。
 立派な山門が見える。

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 石碑も立派だ。

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 曹洞宗らしい、戒めの石碑もある。

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 山門近景。

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 山門は通れず、本堂を撮影。

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 現在は、横に庫裏前までの自動車用道路があるが・・・時代だな。
 水路はこの山門の横でクランク、住宅の裏を流れていた。

 一応、これで、長連龍が作ったとされる二つの寺と一つの館跡、それらを結ぶ道と水路を散策し終えた。

 さて・・・地図で見ると明らかだが、現在の県道は海側を通過しているが、その南側に以前の県道が弓なりに通っている。この道がいつのものなのかは定かではないが、そちらも少し歩いてみることにした。
 東嶺寺山門の前の道路を進み、旧街道に出る。その角には地銀があった。結構、でかい。
 道が弓なりなのがわかる。

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 東嶺寺側を見る。山門が遠望できる。

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 街道の反対側。

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 立派な地銀だが・・・七尾支店に統合されてしまうそうだ。

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 街道沿いを歩くが・・・立派な健康プラザがあった。

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 そして、立派なお寺もあった。残念ながら由来書きはなし・・・。

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 ある程度歩いたところで、田鶴浜館跡の横の道を歩いてみたくなり、二つの寺を結ぶ道に戻る。そして、得源寺の東側の道を歩いてみた。上り坂だが、東側は、谷底のような感じ。東嶺寺と田鶴浜館跡には谷があったことがわかった。悦叟寺側は、女子寮から寺に降りることろが谷のようだったから、この二つの谷の間に「館」を構えたような感じだ。
 途中に、湧き水があった。

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 すぐ後ろには、水道の建物があるから、上水をして用いているのかもしれない。豊富な湧き水があるということなのだろう。
 さらに登って、最初のコミュニティセンターの横に出た。さらに南側には尾根道があるようだが、その南はかなりの急斜面になっている。


 長家の残照を辿ってみたかった散策だったが、往時の面影を残すものはあまりなかった。
 与力とはいえ独立大名だった長家が、家老格とはいえ前田家の一家臣に転落したのは、寛文9(1671)年。それからのおよそ340年は、とても長く、今も残るのは、寺と道路と水路って感じだろうか。事前調査をしないと、なかなか、把握もできないことだとも思う。
 地形図を追ったわけではないが、ネットによる地図と現地散策をあわせると・・・
 二つの谷に挟まれた、海を望む、湧き水豊富な山麓に館を配置、山麓に堀を兼ねた水路と道を設けて、家臣団の屋敷町を置き、その両端の山裾に寺を置いた・・・って感じは読みとれたように思う。当時の街道がどこだったのかは、わからなかった・・・。
 能登に残る古い住宅・・・在地土豪や庄屋(十村役)クラス・・・を巡ったことがある。有名な(二つの)時国家、黒丸家などなどだが、山を背景に平野を見渡せるところに館を構えるって感じがあった。長家の田鶴浜館も、そんな感じだったのかもしれない・・・。

 以下が、歩いた経路と、感じたことを記入したMAP。

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