慶長5(1600)年7月23日の蜂須賀家政

 以下は、(以前に書いた)関が原の戦いを追ったクロニクル風の雑文の中からの、慶長5(1600)年7月23日の蜂須賀家政についての記述の抜粋です。内容はほぼ妄想ですので、御了解ください。
 また、いろいろと省略したので、前後がつながらない部分もあるかもしれません。尚、文中、武蔵江戸の隠居、内府とあるのは徳川家康、阿波徳島城主とあるのは蜂須賀家政、のことです。


  慶長五(一六○○)年七月二十三日

 この日、前田玄以は病気と称して京都屋敷に閉じこもった。摂津大坂城からの指示の多くは病気と称する五奉行の一人の決済を経ないまま、実行されるようになっていく。

 もう一人、病気をこじらせる必要が生じている大名がいる。阿波徳島で約二十万石を領有している蜂須賀家政だった。一年半前に石田三成追放のクーデターに参加した七人組の一人、そして唯一摂津大坂屋敷に留まっていた人物である。陸奥会津への遠征に参加するつもりだった阿波徳島城主は、少しばかり病を得た為、息子の蜂須賀至鎮に主力を預けて出陣させてしまっていた。
 最初「内府違いの条々」を読んだ時、阿波徳島城主の危惧感はさほどなかった。その問責状には蜂須賀家政が追放に加担した石田三成の連判はなかったからである。
 あのこととは別の問題だろう、内府と安芸中納言の内紛などいずれ納まるさ、関係ない。
 武蔵江戸の隠居に状況報告を行う抜け目なさは見せてはいたが、そんな程度の軽い気持ちで阿波徳島城主はいたのである。
 しかし、わずか二日ほどの間に、事態が確実に悪化していることに蜂須賀家政は気付かざるをえなくなった。去就をはっきりしなければどうなるか分かったものではない状況を身に知らされつつあったのである。加えて、阿波徳島城主の一族は豊臣秀吉の恩顧を受けた大名ということに、何故かなってしまっていた。
 太閤の恩顧を思い出せ、(豊臣)秀頼公の為に兵を出せ。
 そんな要請が日に日に強まっていく。いや、それはもはや要請ではなく、強制力のある命令だった。

 蜂須賀一族は豊臣一族にとって、もっとも付き合いの古い一族である。国人領主ではないにしろ、一種の「悪党」として尾張北部の顔役だった先代の小六、すなわち蜂須賀正勝が初めて協力した時、豊臣秀吉は木下を名乗ったか名乗らないかという頃の藤吉郎。時代は織田信長がようやく尾張を制圧したかどうかの永禄年間(一五六○年代)のことだから約四十年前になる。あるいは、それ以前にも放浪を続ける藤吉郎が「小六一家」に世話になったようなこともあったのかもしれない。
 程度はともかく、そんな大昔から蜂須賀正勝と豊臣秀吉は付き合っていた。もちろん、後に姻戚となった木下家定や浅野長吉よりも古いつきあいである。もしかすると「共同で仕事をする」というような観点からすれば、実弟の豊臣秀長よりも古い付き合いなのかもしれなかった。
 しかし、そんな二人の関係、元々は寄親と寄子(与力)である。つまり、両者は対等なのであって、たまたま共通の主君(織田信長)から命じられて一方が一方の指揮下に入ったにすぎない。
 寄子としての小六は抜群に有能だった。直接の戦闘行為もさることながら、持続的な戦闘継続や領地経営には必須ともいえる土木建設事業における手腕は特に卓越している。事実はともかく、「一夜城」と呼ばれる墨俣の砦建設も、「水攻め」の備中高松城の堤防建設も、小六あっての功績だっただろう。そんな有能な寄子を野心に燃える寄親が手離すはずはない。美濃、近江、越前、播磨等々、木下藤吉郎改め羽柴秀吉が活躍していくところには、常に蜂須賀小六の姿もあった。そして、寄親が勢力を拡大していくにつれ、寄子の待遇もよくなっていく。
 最終的に、豊臣秀吉は蜂須賀正勝に、阿波一国約二十万石を与えている。
 しかし、自分と豊臣秀吉は対等のはず、そんな意識は常に蜂須賀正勝にあった。そんな「微妙な」感情に気付いていたかもしれない豊臣秀吉は、中央政権を確立した頃から蜂須賀正勝を次第に遠ざけていく。遠ざけられた方はといえば、少なくとも表面上は文句一つ言わずにいた。やがて隠居もし、そして、かつての寄親よりも一足早く、この世を去っていた。しかし、正直なところは面白くなかったのかもしれない。
 阿波一国くらいは当然の恩賞、いや少ないくらいだ。
 そんな感情は先代の子である蜂須賀家政にはある。本音では豊臣秀頼のことなどどうでもよかったし、次の天下人は徳川家康でいいだろうと思っている。だからこそ、石田三成追放に協力したのだった。

 しかし、そんな理屈が今は通用しないことを、阿波徳島城主は痛感させられていた。
 息子(蜂須賀至鎮)は内府に従っているが、あれはあれだろう。俺は俺でなんとかしなくては。
 思案の挙句、蜂須賀家政は家老格の家臣、高坂法斎に少兵を従わせ、要請に応えることとした。しかし、本人は病気と称して動こうとしない。
 何、いよいよとなれば坊主になればいいさ。
 そう阿波徳島城主は思っていた。


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  • NHK徳島「阿波スペシャル 蜂須賀家の素顔」を見ました。

    Excerpt:  NHK徳島「阿波スペシャル 蜂須賀家の素顔」を見ました。  録画です。ろーかる直送便での・・・ですが、元盗賊から成りあがった一族ですからね・・・って、いうのは冗談ですが。副題は「徳島を284年間治.. Weblog: 不可不察 racked: 2013-11-10 10:52