慶長5(1600)年7月7日の黒田孝高

 今年(2014)のNHK総合「大河ドラマ」は「軍師官兵衛」なわけで、私は何十年かぶりに大河ドラマを見ているわけですが、以下は、以前に書いた「関ヶ原の戦い」のクロニクル風一文からの抜粋です。 慶長5(1600)年7月7日は徳川家康が率いていた上杉景勝討伐軍の大部分が江戸に到着した頃ですが、その時の黒田孝高の思いを書いてみただろう一文になります。



 「内府も江戸入りした頃だろう。そろそろ、かな。」
 もう一人、同じように変事を読み、つぶやいている男がいる。こちらは「読んでいる」というよりも「熱望」していたのかもしれない。
 その男の名は黒田孝高。隠居して如水と号しているこの男は、豊臣秀吉の智嚢として名を馳せた「華麗な過去」を持つことになっていた。

 薬売買をも手がけていた元播磨姫路の国人領主は、急成長する織田信長を意識、それに乗り換えようとした。そして、当時はその一武将だった羽柴秀吉の与力に配属されている。以後、それまで主君だった小寺政職が離反しようと、播磨の国人領主達の盟主だった別所吉治が造反しようと、極めて親しい関係だった荒木村重が反旗を翻し、その元で一年以上の牢獄暮らしを強いられようと、黒田孝高は羽柴秀吉を裏切らずに人生を賭けてきた。求められるまま息子を証人として送り、さらに当時の近江長浜城主が播磨に出張ってきた時には、自らの本拠地(播磨姫路)を差し出してもいる。織田信長横死の時には好機とばかりに、当時の羽柴秀吉を扇動したことでも知られていた。もっとも、最初に羽柴秀吉をけしかけたのは、織田信長から戦目付として派遣されていた、今は亡き堀秀政だったのだが。
 しかし、その逸話の結果、豊臣秀吉が中央政権を掌握できたのは元播磨姫路の国人領主の知恵によるとまで囁かれている。
 その真偽はともかくとしても、豊臣秀吉の中央政権掌握までの間、闊達に利用されたはずのその智嚢は、しかし中央政権の成熟と共に無用のものとされつつあった。世間では「太閤から危険視された為」と噂されていたものの、実のところは新しい中央政権では「無能」だったのかもしれない。
 所詮、政権の樹立に役だつ才能とそれを維持していく才能は別のものである。その一方を持つ人材はかなり少ないが、両者を兼備した人材はさらに少ない。黒田孝高は「かなり少ない」人材ではあったものの「さらに少ない」人材ではなかったということである。
 黒田孝高の同僚達の境遇もそれなりだった。中央政権の樹立直前に死んだ豊臣秀長は丁重に葬られこそしたものの、その後継者は不可解な死を遂げた挙句に所領を没収されている。恐らく邪魔者として「殺された」のだろうと噂されていた。中央政権での既得権放棄を拒んだ千利休は結局殺されてしまい、「さらに少ない」人材でもあっただろう二人、浅野長吉と蜂須賀正勝は保身についても、より利口だった。黒田孝高同様に隠居することで保身に徹している。
 隠居後も、朝鮮戦役の軍監などで時折仕事が回ってくることもなくはなかったが、かつての同僚達の末路を思い起こしつつも、豊前中津の隠居は息子の領地で暇を持て余していた。

 そんな黒田孝高は今回の上杉景勝遠征に際して何らかの変事が起こるだろうとも想像している。こちらも「具体的な想定」こそしようもなかったが、徳川家康に対する不満が何らかの形で暴発するだろうというくらいの読み、というよりは熱望を持っていた。その熱望故に豊前中津の隠居は一策を講じている。すなわち、いち早く変事を知る為に、摂津大坂の屋敷には母里太兵衛のような有能な家臣をわざわざ残させ、しかも、摂津大坂から豊前中津までの瀬戸内海沿岸の主要な港に変事通報用の早船を用意させてもいる。
「楽しみだな。」
 隠居して尚、浮世に未練を残す豊前中津の隠居は、誰にも聞こえないことを知りつつ、そう口に出した。
 どう転ぶにしても、俺は勝ち残ってやる。太閤の時のようにうまい汁を吸われてたまるものか。
 元播磨姫路の国人領主は、今度は自分自身の為にその才覚を発揮するつもりである。いや、元々そのつもりで豊臣秀吉に賭けて生きてきたのかもしれない。
 しかし、賭けられた相手は賭けた本人よりもはるかに上を行った。豊前中津の隠居が持つ才能と努力、そして幸運をかなりの量で吸い上げ、そして、豊臣秀吉は中央政権の首班となったと、黒田孝高は信じている。そんな豊前中津の隠居にとって、現在の境遇はもちろん、息子の名義になっている豊前中津十五万石はかなり不満だった。
 豊臣秀吉に中央政権首班の座を用意させた自分の才能を自分自身の為に使えば、今度は俺が天下人だと、黒田孝高は信じようとしていたのかもしれない。




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